新年を迎え、誰もが念じることは、今年も家族全員が健康で事故もなく幸せな一年となるようにということであろう。
どこの家庭でも、元旦の朝を迎え家族で「おめでとう」のあいさつを交わし、食卓にそろうおせち料理をいただきながら、喜びを分かち合う。
我が家でも、必ず家に伝わる独特の雑煮をいただく。私も子どもたちも、これなしでは、お正月の料理はありえない。それは、少し塩のきいたぶりの魚、ハマグリをいれ、柚子・三つ葉をのせ、しょうゆ味のおつゆで、角餅を煮込んだ雑煮である。〔芸北・山陰に近い地方の三次市の一部〕最高の味であると思っている。鏡餅・お雑煮など、お正月ならではのものである。しかし、あまりその意味を考えたことは無い、おそらく、お正月の雑煮等の習慣がいつの間にか出来たのだろう。
民俗学者である柳田國男は、『正月の食物からみた祖先の生活』(昭和9年)の中で、「餅は正月とは切れない深い関係があった。今では大部分の人はその意味を忘れて、めでたいから食べるくらいに考えているが、決してそんなことではなかったのである。……… まず考えなければならないのは、年の暮れに餅をついておきながら、元旦に雑煮を食べぬことにしている家が、日本各地に存外多いことである。」と。その理由は、「すなわち昔は、鏡餅をはじめとしていろいろ神に供えたものを、幾日かしてから全部おろし、いっしょに煮て雑煮をこしらえて食べたのである。……… 雑煮という簡単な言葉にも、こうした深い意味が含まれている。」と言っている。我々の祖先は、供えた鏡餅を神様がまず食べ、神の体になった食物を自ら食べることにより、一つになる。神との連係をつくる事を考えたのである。
生活は、その歴史文化を離れては語れない、祖先の精神生活が今の正月の風習や行事の中にたくさん残っていることを知ることが出来きる。心と体は一体であることを改めて考える。健康であるために、食生活の基本を見直すことからこの一年の幸せを考えて生きたいと思う。
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